こんにちは!カリアッパです。
あなたは今、
「瞑想をしてみたいけど、どんな効果があるの?」
「瞑想って危なくない?」
こんな疑問をお持ちではないでしょうか。
本記事を読むことで、瞑想に関する理解が深まることと思います。
私自身、2年4か月程瞑想を続けていることもあるので、実体験をもとに話していきます。
それでは、始めていきます。
コンテンツ
瞑想の効果を明かします【私が2年間の瞑想で得たものとは】
私が2年間の瞑想で得た効果をお伝えします。
1-1.今この瞬間に集中できるようになる
効果の一つ目は、今この瞬間に集中できるようになることです。
そのため、何か日常的なことをするにしても、その物事以外のことで思い煩うことが、大分無くなってきます。
例えば、何か失敗してしまい、怒られたとします。
怒られたことで心が動揺しても、瞬時に心を冷静な状態に戻すことができるようになってきます。
そして、怒られたことを気にすることなく、今すべきことに集中しやすくなるのです。
瞑想を始める前より後の方が目の前の出来事に没入しやすくなります。
1-2.過去のことを思い悩むことがなくなってくる
先ほどの1-1.の話の内容から何となく想像できるかもしれませんが、
過去のことを思い悩むことが無くなってきます。
瞑想を続けていくと、「何が起ころうとも過ぎ去っていくのだから問題ない」と思えるようになってくるのです。
なぜなら、瞑想は、自分の思考に囚われないようになるための訓練でもあるからです。
例えば、5分前に誰かから嫌なことをされたとしても、一人になって呼吸に意識を向けると、その嫌な思いは、気づいたらなくなっています。
私は、思い悩んだり、怒りを感じたりすることがありますが、家に帰るとその日あった嫌なことは大体忘れています。
今の社会は、ストレス社会で落ち着かない日々が続いている人もいるでしょう。
瞑想を続けることで、ストレスフリーな日常を送ることができるようになってきます。
しかし、それはこの恵まれた日本に住んでいるからであって、瞑想をする余裕があること自体に、感謝しなければなりませんね。
1-3.自分の中に拠り所を持てるようになる
瞑想を続けていると、思考が浮かんできても、気にしなくなってきます。
日常で例えるなら、目の前を通り過ぎる車(思考)を気にしないということです。(スポーツカーや友達の車が通りすぎたら、気にするかもしれませんが、基本的には気にしませんよね笑 ただ通り過ぎていくだけです。)
思考を気にしなくなる時に何を感じるのか、お伝えすると、自分に対する絶対的な安心感のようなものを感じます。
私は、一時期この感覚に囚われ、それだけを信じ、生きてしまっていた時期もあるくらいです。
この感覚だけは失ってはいけないと思い込んでいたのでしょう。
本来の瞑想の目的である、思考に囚われないようになることを完全に見失っていました。
それほど、私にとっては魅力的な出来事だったのです。
話を戻すと、
思考に囚われない状態に至ると、自分の中に絶対的な安心感、つまり拠り所を持てるようになります。
もし今後、瞑想をし、このような感覚を感じた際は、その感覚にとらわれすぎないように注意が必要です。
1-4.見える景色が変わる
瞑想を行う前後で、見える景色が変わることがあります。
瞑想が深くなれば深くなるほど、その景色も全く違ったものになります。
私が経験したことを紹介します。
1.今目の前のすべてが光輝いて見え、その素晴らしさに圧倒された経験。家の中のすべてのものがそこにあるだけで涙を流さずにはいられなかった。
2.座っているだけなのに、地球が回っているのを感じているような、宇宙空間に入り込んだような感覚を覚えた。瞑想を終えた後、外に出ると自分と外側の対象との境界線が無くなっているような感覚を覚えた。
信じがたい内容かもしれませんが私は1年8か月ほど前にこのような経験をしました。
この経験から得られたことは、瞑想をすると自分の内面が変わり、それに伴って、見える景色も変わるということです。
瞑想をすることで、普段は感じられない大きな気づきを得ることもできます。
1-5.本来何も持ってないことが感覚的にわかる
5つ目は、仏語でもある本来無一物(本来は何も持っていないという教え)を感覚的に感じ取れることです。
この感覚を得てから、「何一つ当たり前のことなんてない」という気づきが得られました。
事実、人間は一人で生きているのではなく、他者とのつながりの中で生かされていますよね。
その有難さを、瞑想を通じて深めることができます。
瞑想は危ないの?
ここからは、瞑想に危険性はあるのか、についてお伝えしていきます。
2-1.神秘的な経験に囚われ、それを求めすぎなければ問題ない
瞑想が深まると神秘的な経験(先ほど述べた1-4.の内容)をすることがあります。
その経験にとらわれて生きたり、その経験を求めて生きたりするのは、瞑想のあるべき姿ではないといえるでしょう。
私自身、神秘的な経験に囚われることで日常をおろそかにし、自分の人間としての役割を見失っていた時期がありました。
もし、その神秘的な世界を求め続けていたら、自分の役割を果たすことなく、この世を去っていたかもしれません。
つまり、日常でやるべきことを見失わなければ問題ないということです。
2-2.瞑想の目的を持つこと
瞑想の目的をどこに置くのかは、大事になってくると思います。
瞑想の目的を見失うと、神秘的な経験のみを信じ、日常をおろそかにする可能性があります。
神秘的な経験は、あくまで自分自身を救うための経験であり、人と関わる際は、自分の人間としての役目を果たすことを見失わないようにしましょう。
しかし、ここの考え方は人それぞれです。
あくまで私は、神秘のみにはすがらないというだけの話ですので、瞑想を深めるのは悪いことだとは思っていません。
ただ、何度も言いますが、人との関わりの中で自分が果たすべき役割があるのに、神秘的な経験にとわわれて、日常の人間関係を疎かにしないようにしましょう。
瞑想を続ける際は、何のために行っているのかを時に確認するといいでしょう。
私は、あくまで自分の理想をかなえるための手段として瞑想を行っているという認識でいます。
まとめ
いかがだったでしょうか。
本当なのか?と疑いたくなるような内容も含まれているかもしれません。
あくまで私が経験したことに過ぎないので、「こういうことも起こるんだ。」程度に思っていただけたらなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また、お会いしましょう!